
豪華な鎧や兜を飾ること自体は武家社会の風習で、かつて武者が安全や武運を祈って鎧や兜を神社に奉納したことが由来とされています。
鎧や兜は、戦のときには防具として身を守るという大切な役目を持っているため、無事に成長し、強く立派な男の子になるようにという願いが込められています。
白のグラデーションが印象的な京都発ブランド「白粋(HAKI)」。職人たちが1点1点丁寧に作り上げた五月人形は、幻想的で優しい世界観を表現した、新しいタイプの節句飾りです。
¥77,000税込
木目込み人形専門店 真多呂人形 |
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端午の節句の五月人形の「真多呂人形」は、
「木目込み人形」唯一の正統伝承者として上賀茂神社の認定を受けています。
経済産業大臣指定「伝統的工芸品」260年の伝統技法で、
職人の丹精こもる雅やかな逸品をお届けします。
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5月5日の子どもの日は、端午の節句でもあり、男の子の成長を願う日とされています。
端午の節句の起源は、桃の節句よりも古く、奈良時代に始まり、平安時代には病気や災厄から身を守る大切な貴族の行事として定着しました。
鯉のぼりを上げ、柏餅や粽(ちまき)をいただき、菖蒲湯につかります。
菖蒲で邪気を払う中国の習わしだったといわれています。
平安時代の貴族の間でのこうしたしきたりが、やがて、「午」に通じる「五」が重なる、5月5日が端午の節句として「人日(1月7日)・上巳(3月3日)・端午(5月5日)・七夕(7月7日)・重陽(9月9日)」の五節句に取り入れら定着していったといわれます。
初めは宮廷行事だったのが、自然と子供たちがお互いのからだを菖蒲の葉でたたき合う遊びに変わり、鎌倉時代には一般家庭でも端午の節句を祝うようになったといいます。
端午の節句が日本に伝わった際、女性の行事である「五月忌み」と結び付いたため、当初は女の子の祭りとして行われていました。
中国ではこの時期は、心身に不調をきたしやすく、災いに見舞われやすいとされてきました。
季節の変わり目には魔が忍び込みやすいといわれ、天候不順は体調にも影響がありそうです。
また、田植えをはじめるこの時期は、身を祓い浄めて豊作を祈る節目の時でもありました。
暑い夏に負けないよう、健やかさの備えをする頃でもあったようです。
ですから、人々は、山に出かけて薬草を採り、それでお茶を煎じたりお酒をつくったりして飲んでいたといいます。
薬効が高いといわれる鹿の角や、香気により邪気を祓うとされる菖蒲やよもぎなどを求めて、野山へ薬猟に出かけるならわしがあったといいます。
五月初旬は、鹿の角が生えてくる時期で、その若角を陰干しにして粉にすると、英気を養う薬となりました。
端午の節句に、宮廷では菖蒲やよもぎを軒にさすなどし、丸い絹の包みの中に香薬を入れて、天皇の御所にかけて邪気を祓い、暑い季節に備えたそうです。
「枕草子」の中で、かの清少納言も、薫風のころに菖蒲が香る様子を書き記しています。
端午の節句に薬草でお清めをするしきたりは、やがて庶民にも広まっていきました。
日本人にとりわけ好まれたのは菖蒲です。
お酒にしたり、枕に詰めて眠ったり、あるいは束にしてあちこちを叩いたり・・・邪気を祓ってくれると人々は願ったのです。
やがて、・・・続く >>>